トランスジェンダーのテストステロン値は反則的なのか?
「トランスジェンダーのアスリートが、史上初の五輪出場権を獲得。」ニュージーランド出身で、女性へと性転換をしたトランスジェンダー(以下MTF(=Male-To-Female))のローレル・ハバード(Laurel Hubbard)選手が、女子重量挙げ87kg級の東京五輪の出場権を獲得したことが、スポーツの枠を超え、世界中で大きな話題になっています。
報道の中には、彼女への祝福をする内容もありましたが、多くは「もともと男性の身体を持った人と競うのは不公平」などといった批判的な報道ばかり。
また2015年には、男性へと性転換したトランスジェンダー(以下FTM(=Female-to-Male))のクリス・モージャー(Chris Mosier)選手がトライアスロンのアメリカ代表に選ばれた際にも、「男性ホルモンの注射」の使用などについて、同様な議論を生んだことがありました。
今回は男性ホルモンの1つ「テストステロン(testosterone)の値」に焦点を当て、不利と議論される理由について考察していきます。
男性から女性に性転換したトランスジェンダー(MTF)のケース
テストステロンの働きと体内量について
男性ホルモンの一種で、筋肉量を増強することで知られるテストステロン。男性だけ作られるイメージもありますが、女性の体内でも作られるホルモンです。
(引用:血液検査用テストステロンキット「ケミルミテストステロンⅡ」添付文書)
※検査対象=海外の月経周期が正常な女性及び閉経後の女性と健常男性
※※女性群の21~60歳=閉経前の女性
表1は体内で作られる男女のテストステロンの量を比較したもの。2~10歳までは体内で作られるテストステロンの値に大きな差がないことが分かりますが、12歳付近を境に徐々に差が現れ始め、16歳を超えると男女で約15倍もの差がでることが分かります。
MTFの五輪参加条件
トランスジェンダーには五輪に出場する際のガイドラインがあり、MTFには「大会1年前のテストステロンの値が10 nmol/ Lを下回っており、かつ10 nmol/Lを維持すること」が主な条件として求められます。
参照:IOC Consensus Meeting on Sex Reassignment and Hyperandrogenism
表1からわかる通り、10nmol/Lは12~13歳程度、つまり小学校高学年の男児程度のホルモン量です。MTFのトランスジェンダーはホルモン治療を行い、小学生レベルにまで落としてトレーニングを積み大会へ望まねばなりません。しかしながら、それでも21~60歳の女性と比べると、最大で10倍もの差があります。 ローレル・ハバード選手がどの程度までテストステロンの値を下げているかは不明ですが、MTFの選手が女性アスリートと競うことに批判が時生じる背景には、この様な科学的根拠があるからかもしれません。
女性から男性に性転換したトランスジェンダー(FTM)のケース
MTFに補充するテストステロンは反則的?
トランスジェンダーは性転換後の身体の状態を保つために、女性に性転換したMTFの場合には女性ホルモンを、男性に性転換したFTMの場合、テストステロンなどの男性ホルモンを主に注射で補充します。
FTMのホルモン療法では、「テストステロンエナント酸エステル注射液」というテストステロンを主成分とした注射を1~2週間に1回の頻度で、1回当たり200~250mを筋肉注射していきます。そしてこの程度の量を継続して筋肉注射していくと、男性と同等のステロイドの体内量に、つまり15nmol/L程度にまで体内量をコントロールすることが可能となるのです。 15nmol/Lをはるかに超えた量が検出された場合には、ドーピング違反も疑われますし、その際には批判的な報道もされるでしょう。しかし、クリス・モージャー選手の様に男性へ性転換したFTMのアスリートが、テストステロンを注射しながら男性のカテゴリーで勝負し結果を出すことについては、反則的とは言えないでしょう。
生まれつきテストステロン値が高い女性アスリートの話
キャスター・セメンヤ(Caster Semenya)選手という南アフリカの女性アスリートをご存知でしょうか。彼女はロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪の陸上女子800mの金メダリストで、五輪だけではなく世界大会でも優勝する世界的トップアスリート。
しかし彼女に対しては温かな声援ばかりではありませんでした。なぜなら彼女は、声が低く筋肉の付き方も男性的で、何より結果でも2位を圧倒してきたことから、ドーピング疑惑を持ちかけられ、更には女性であることまでも疑問視されてきたのです。
事実、彼女のテストステロンの値を検査した結果、通常の女性の約3倍量、つまり3nmol/L程度検出されたようです。しかし調査を進めるとドーピング違反の事実はなく、単に生まれつきテストステロンの値が高いだけということが判明しました。
確かに彼女のテストステロンの値は一般的な女性と比較すると3倍近い量ではあり、競技をするうえで優位に働く可能性があります。しかし一般的な男性と比較しても1/5程度。ドーピングを疑われたとしても、決して性別を疑う数値ではありません。
テストステロンは競技を優位にする可能性があるため、これからもトランスジェンダーのアスリートは批判的な声を受け続ける可能性があります。しかし根拠のない批判はアスリートを大きく傷つけません。キャスター・セメンヤ選手の様なケースを増やさないために、正しく情報を集め、判断するよう努めましょう。
参考文献一覧:
・代表の座を勝ち取ったトランスジェンダーアスリート。世界大会に出場できるのか。
・TUE Physician Guidelines TRANSGENDER ATHLETES
・Circulating Testosterone as the Hormonal Basis of Sex Differences in Athletic Performance